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ゴルフ日韓戦は日本に軍配 薗田峻輔が殊勲の白星!
2010年9月12日(日)午後5:25
日本ゴルフ界を代表するベテランから若手までの精鋭10人が、敵地に乗り込み“永遠のライバル”韓国を見事に下した。
現地時間12日、韓国・済洲島のヘビチカントリーグラブを舞台に開催されていた現代キャピタル招待 韓日プロゴルフ対抗戦は大会最終日の競技を終了。両国10人ずつのシングルス・ストロークプレーが行われ、日本チームは5勝5敗(勝:1ポイント、敗:0ポイント)という結果となったが、前日までのポイントで5.5?4.5とリードしていたため、トータル10.5ポイントまで伸ばした日本が1点差で韓国を振りきり勝利を収めた。
この日の日本チームは、先陣を切った1組目の小田龍一が敗れ早々にポイントで並ばれてしまう。ところが、2組目の宮本勝昌が同スコアのまま迎えた最終18番ホールで7メートルのバーディパットを沈める会心の勝利。これが後続の選手に波及したのか、日本チームは3組目の藤田寛之、4組目の小田孔明、5組目の横尾要まで破竹の勢いで4連勝。この時点でポイント9.5?5.5と大きくリードを広げ、あと1ポイントを取れば勝利が決まる状況となる。しかし、6組目の丸山大輔が最後まで競り合うもわずか1ストローク差で敗退。続く7組目の薗田峻輔とキム・デヒョンとの対戦に日本の優勝が託される。
序盤から快調にバーディを奪う薗田は一時3ストローク差をつけたが、後半に入り突如失速。17番でボギーを叩きわずか1ストローク差まで詰め寄られ最終18番を迎える。母国の名誉と優勝のプレッシャーが最大限となるこの場面で、プロ1年目ながら堂々と国内ツアーを戦う20歳の若武者が本領を発揮。ティーショットを左に曲げた後、ラフからのセカンドでチップインイーグルかと思わせるスーパーショットを披露したのだ。楽々バーディフィニッシュとした薗田が7組目で殊勲の白星を挙げ、日本チームの優勝を決定づけた。
その後の池田勇太、石川遼、片山晋呉はいずれも相手の好プレーの前に敗退となったが、2004年に開催されたゴルフ日韓対抗戦第1回大会で韓国に敗れた6年越しの雪辱を、今回ようやく果たす形となった。日本チームを率いた青木功主将は、表彰式のスピーチで「嬉しいの一言。この日韓対抗戦が来年以降もずっと続くことを願っている」と、勝利の喜びを語るとともにこの一大イベントの継続開催を訴えながら大会を締めくくった。
現地時間12日、韓国・済洲島のヘビチカントリーグラブを舞台に開催されていた現代キャピタル招待 韓日プロゴルフ対抗戦は大会最終日の競技を終了。両国10人ずつのシングルス・ストロークプレーが行われ、日本チームは5勝5敗(勝:1ポイント、敗:0ポイント)という結果となったが、前日までのポイントで5.5?4.5とリードしていたため、トータル10.5ポイントまで伸ばした日本が1点差で韓国を振りきり勝利を収めた。
この日の日本チームは、先陣を切った1組目の小田龍一が敗れ早々にポイントで並ばれてしまう。ところが、2組目の宮本勝昌が同スコアのまま迎えた最終18番ホールで7メートルのバーディパットを沈める会心の勝利。これが後続の選手に波及したのか、日本チームは3組目の藤田寛之、4組目の小田孔明、5組目の横尾要まで破竹の勢いで4連勝。この時点でポイント9.5?5.5と大きくリードを広げ、あと1ポイントを取れば勝利が決まる状況となる。しかし、6組目の丸山大輔が最後まで競り合うもわずか1ストローク差で敗退。続く7組目の薗田峻輔とキム・デヒョンとの対戦に日本の優勝が託される。
序盤から快調にバーディを奪う薗田は一時3ストローク差をつけたが、後半に入り突如失速。17番でボギーを叩きわずか1ストローク差まで詰め寄られ最終18番を迎える。母国の名誉と優勝のプレッシャーが最大限となるこの場面で、プロ1年目ながら堂々と国内ツアーを戦う20歳の若武者が本領を発揮。ティーショットを左に曲げた後、ラフからのセカンドでチップインイーグルかと思わせるスーパーショットを披露したのだ。楽々バーディフィニッシュとした薗田が7組目で殊勲の白星を挙げ、日本チームの優勝を決定づけた。
その後の池田勇太、石川遼、片山晋呉はいずれも相手の好プレーの前に敗退となったが、2004年に開催されたゴルフ日韓対抗戦第1回大会で韓国に敗れた6年越しの雪辱を、今回ようやく果たす形となった。日本チームを率いた青木功主将は、表彰式のスピーチで「嬉しいの一言。この日韓対抗戦が来年以降もずっと続くことを願っている」と、勝利の喜びを語るとともにこの一大イベントの継続開催を訴えながら大会を締めくくった。