市原弘大の涙の意味(舩越園子の現地レポート/2016全英オープン)
2016年7月16日(土)午前11:00
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36ホール目のパーパットを捻じ込んだ市原弘大が、右手こぶしを握り締め、ガッツポーズを取った。みるみるうちに彼の目に涙が溢れ、頬を伝った。予選通過を果たしたことを喜ぶ涙に違いない。だが、それ以上の「何か」がなければ、あんなにも後から後から涙が溢れ返ることはないはずだ。
「涙が止まらなくなっちゃって。あはははは」
10数名の日本メディアが待ち構えていた取材用のテントにやってきて、小さな檀上に立った市原。照れ笑いを交えながらも彼の目と頬はずっと濡れていた。
全英オープン出場は今回が2度目。初出場の2012年は初日から「77」を叩き、あえなく予選落ちした。「4年前に出て、最下位で落ちた。だから、もう1度と思っていた」
その雪辱を果たせたことは彼の涙の奥にあった「何か」の1つ。だが、もっと深い「何か」もあるだろう。そうでなければ、こんなに大量の涙は溢れてこないはず。そう、その「何か」は全英オープンという1大会に限ったものではなく、彼がこれまで味わってきた悔しさや情けなさの結集だった。
「日本では3メートルを外してシード落ちしたことがあった。(シードに限らず)1打差で落ちた経験は今までたくさんあった」
そのたびに、今度こそは最後のパットを「入れよう」「入れるぞ」と心に誓った。その作業を何度も何度も繰り返していくうちに、ファイナルパットは「入れなきゃという強迫観念がすごいあった」。
ときに、その強迫観念におびえ、ときに、その強迫観念に負け、それでも歯を食いしばりながらアジアやヨーロッパ、日本のチャレンジツアーを転戦してきた日々は言葉にはならない苦労や苦悩があったのだと思う。
「自分だけじゃない。周りの人が喜んでくれるのがうれしい」
報われない日々を共に歩んでくれた人々への感謝の念が市原の涙の量を倍増させていた。
穏やかな物腰。謙虚な物言い。そんな市原は初日も2日目も自分の立ち位置を「一番下」に据えていた。過去には背伸びしたことも委縮したこともあったのだと思う。だが、挑んでは跳ね返される経験を繰り返した中で、いつしか彼は、どんなに厳しい現実であっても自分を等身大で受け入れる姿勢を身に付けたのだろう。
歩みゆく道が険しくなればなるほど、視界は良好に保ちたい。悔しさを噛み締めるたびにクリアになっていった市原の視界は、だからこそ、このロイヤルトゥルーンで決勝2日間へ続く道へと開けていった。
「僕は挑戦者。予選を通ろうと思って通れるほどの世界ランキングじゃない。考えても縮こまってしまうので、思いきり攻め続けて前へ前へ行けたらいい」
初日にそう言った市原は、2日目を終え、予選を通り、全英オープンの初めての週末を迎えられることになった。
「予選を通った中で世界ランキングは自分が一番下だと思う。順位的にも一番下だと思う。その中で、どれだけできるか。1つでも上に行ければいい。自分のゴルフができればいい」
日本のチャレンジツアーで優勝したときでも、うれし泣きはしなかったそうだ。日頃も「うれし泣きは、あんまりないです」。
そんな市原がトゥルーンで流した大量のうれし涙はきれいだった。赤い目、ぐちゃぐちゃに濡れた頬を綻ばせながら、感情のままに泣き笑いする彼の姿は可愛らしかった。
数字の上では「一番下」でも、今日のトゥルーンで一番輝いて見えたのは、市原弘大、彼だった。